越知帳

緑のふるさと協力隊21期/高知県高岡郡越知町/横畠迎賓館

雑記 自分の感じたこと考えたことを発信すること

◉自分の感じたこと考えたことを発信すること - 同期のエントリを読んで


感じたこと考えたことを人に伝えるということは、自分の存在を意味づけてくれると思う。

目の前にあるものや誰かの言動から、僕が何かを感じる。もし感じたことを発信しなければ、自己完結する。逆にそれを誰かに向けて発信すれば、それを受信した誰かは、僕が発信したものからまた何かを感じる。そのやりとりがコミュニケーションであり、自分の存在価値だと思う。


外資系企業の会議では、新入社員でも発言を求められるという。何も言わないならいる意味がないと言われるそうだ。

人それぞれ、見方は違う。詳しく知らないからこそ気づくこともある。だから、前提知識や価値観が多様な人が集まって同じ話を聞いて、おのおの感じたこと考えたことを言いあうだけで、そこにいる人数分だけの複数の視点から一つのものを捉えられることになる。

自分の見方は他の誰にとっても当たり前に思える。でもそうじゃない。自分が感じたことを誰かに伝えることによって、相手にとって新しい視点を提供することができる。(他人の視点にどの程度価値を見出すかは人それぞれだけど。)


僕はいま緑のふるさと協力隊員として支援を受けて、高知県越知町にいる。
見るもの全てが新鮮。その新鮮な視点でこの町を見れるのは自分の特権。
だからこそ、発信しなきゃいけない。

都会(?)から来たよそ者は、どんなものにワクワクするのか。
若者にとっては、どんな伝え方が響くのか。

越知町の人たちに対してだけじゃない。
田舎の生活って何かおもしろそうだなーと思ってくれてる人にも、心配してくれている人たちにも、僕がいま経験していることを伝えたい。


その人自身が同じ体験をしたら、どう感じるのかは僕はわからない。でも、僕が発信する以上、単なる情報だけじゃなく、自分がどう感じたのかも伝えたい。
自分の感性や価値観のフィルターを通すからこそ、自分が発信する意味がある。

「客観的な情報」を伝える だ け なら、誰でもできる。もちろん、「客観的」な情報も伝えたい。でもそれだけじゃなく、あえて 自 分 が ここにいる意味は、自分の感じたことを伝えることだと思う。

自分の考えたことや感じたことを発信することは、自分がここにいることを意味づけてくれる。
より正確にいうと、誰かが自分の発信したものを読んでくれて、何かを感じてくれたとして、その人の感じたものを伝え返してもらえた時、初めて自分は実感するだろう。発信していたことは意味があったんだって。


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でも正直、あんまり堅いこと言わずに、いいなと思ったことや驚いたことを率直に伝えられたらなと思います。

まとまった言葉にならなくても、断片でもいいから、出してみようかな。


あとは、
考えごとは、朝しよう。笑